くじら葬祭

昭島市、立川市、多摩地区、葬儀、家族葬を良質なサービスで提供。お客様の口コミ満載"くじら葬祭"
 

 

葬儀の種類

■火葬式
儀式的な事は行わずお別れ頂く一番シンプルなプランです。 火葬式プランKS

火葬式プランKL

 

■一日葬
通夜を行わず、葬儀一切を1日で行うプランです。
身体的、経済的に軽減出来ます。 1日葬プランOPS

1日葬プランOPL

 

■家族葬向き
ご家族様中心の葬儀プランです。故人の仲の良かった友人数名にも家族同様、ゆっくりとお別れして頂けます。 家族葬プランFS

家族葬プランFL

 

■人数で選ぶ葬儀
ご参列の人数に応じてお選び頂く葬儀プランです。職場関係やご友人、生前関わりのあった方々に幅広くお別れ頂けます。
 30~50名
葬儀プランBS
 50~100名
葬儀プランBM
 100~200名
葬儀プランBL

 

 
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代表挨拶

 

くじら社長 挨拶


当ホームページをご覧の皆様、はじめまして。くじら葬祭代表を務めさせて頂いています、
谷島健次(ヤジマケンジ)と申します。

さて、ここのページは私の自己紹介を兼ね、少し力を抜いた形で色々なお話をさせて頂きたいと思います。
ご縁あってお客様になっていただいた方より、『どんな人がいる葬儀屋さんなんだろう?
とっつきにくい人だったら嫌だなと、最初は思いました。』と言う事を良く言われますので、この自己紹介ページを作りました。思いついた事をつらつらと長く書きますので、読むことが苦にならない方はどうぞご拝読
下さい。(笑)

前置きからいきなり長くなりましたが。。。自己紹介を。。。

私は昭和47年に東京は多摩地区、緑豊かな地で3人兄弟の次男としてこの生を授かりました。幼少期より
それはそれは、のびのびと育ちました。
毎日のように泥んこになりながら、広場で(と言っても家の前も
広場みたいなもんでした。)野球やおにっごこ、
泥団子を作り、ザリガニやとんぼ、カエルを捕まえて遊んでいました。
今の子供たちと比べると、いわゆる子供らしい遊びをしながら順風満帆に育ちました。
好き勝手させてくれる両親の愛情を受けながら、大工だった父の現場に夏休みに手伝い(じゃま?!)をし、
手料理が得意な母の優しさに包まれた昭和時代を過ごしてきました。

この葬儀という業界に初めて触れたのは高校2年生の時の夏休みでした。
アルバイトをしたのがきっかけで、花輪屋さんでのお仕事です。
今はほとんど見かけなくなった花輪ですが、昔、自宅での葬儀が多かった時代によく、庭先や、
道の両脇に大きな花輪がありましたね。それを立てに行く仕事でした。当時は訳が分からず、おじさんの
運転する車に乗せられ、助手を務めました。今思うと、何の因果かその頃からこの葬儀に関係する仕事を
していたんだなぁとしみじみ不思議に感じます。

高校、短大を卒業し、大手映像関係プロダクションに就職。映画が好きだった私は、いずれハリウッドに行くぞ!  なんて大きな夢を描きながら映像関係の仕事に就きました。
しかし、ある日スタジオのセットだった大きな生花の装飾を見て全身がしびれる感覚に襲われたのです。

こんなに綺麗な飾りを出来る職人がいるんだ!と感動した私は、約1年で退職。
生花装飾業をしている会社に再就職したのです。

ところが・・・

そこは、葬儀の装飾を主に得意とする会社だったのです。私の思い描いていた華やかな装飾とは真逆です。
白い菊に・・・お仕事を頂く葬儀屋さんの手伝い。。。
白木の重~い祭壇を運んで組み立てて・・・。花を飾って。。。

最初はなんて“陰気くさい仕事なんだ”と思っていましたが、ご遺族と触れ合っているうちに、
すぐに素晴らしい仕事なんだと気付かされたのです。

花屋さんは葬儀社の裏方の仕事ですが、その花を見て癒され、最後にはその花をご遺族の手で
最愛の人へ手向けられます。
自分の装飾した花で癒され、涙し、感謝もされます。
若い時分から周りの同い年から比べると、人の死に直面すると言う愛に溢れた場所を目で見て、肌で感じて
来れた事は本当に良い人生経験をさせて頂いていると思います。

そんな日々が続く中で裏方としてではなく、直接ご遺族と触れ合いたくなった私は、葬儀屋への道を選びました。
そして2004年に決心。
(もう子供も幼稚園に通っていた頃なので、奥さんには相当心配かけたと思います。。。)
修業、下準備を終え、
2009年に“人と人との結びつきを大切に!”を胸に 『株式会社 -ゆい-結セレモニー』 を開業しました。

くじら葬祭と言う屋号を付け(あだ名みたいなもんです。。。)この昭島市を中心に、都内全域をカバー
させて頂いています。

なんで『くじら』なの?なんてご質問を受けます。それは・・・

ここ昭島は、昭和
36年に多摩川河川敷でほぼ丸ごと一頭分のくじらの化石が発掘されて以来、町のシンボルマークになりました。町のあちこちにくじらのマークがあり、くじらロードなんて言う商店街や、マンホールにもくじらが描かれています。毎年恒例のくじら祭りや花火大会も有名です。地域の方に馴染み深い愛称だと思います。

また、そのくじらですが。。。

くじらはその生涯を終えるとその巨大な肉体が完全に無くなるまで、100年から300年もかかるそうです。
海の中の微生物から始まり、甲殻類、魚たちにそんなにも長い間恩恵を与え続けるそうです。
人も亡くなるとすぐに火葬はされますが、その一生涯は人々に深い思い出や教訓を心に残してくれます。
人が亡くなると気付くその偉大さ。。。この自然界に見習い、ずっと後世に渡り、その人の残してくれた
恩恵に感謝し続けていけるような、そんな葬儀のお手伝いをしていきたいと考えたからです。

さて、約20年、葬儀の現場を目にしてきて、今の葬儀の形はガラリと変わりました。
自宅葬儀がまだまだ多かった時代から葬儀会館の葬儀が増えていき、今では殆どの方が葬儀会館を
好みます。


葬儀の内容や様子も変わりました。



かつて、外には提灯や、何本もの大きな花輪やお供え物が飾られ、家の中は、立派な白木の彫刻祭壇に
白や黄色の菊の装飾。またご近所の方はおにぎりや煮物などの料理をつくり、盛大に葬儀をしていました。
出棺の時に棺を皆で担ぎ、庭をねり歩き、野辺送り。皆の願いが届くようにと、大空へ白いハトを放つ
“放鳥の儀”なんてのもあったんですよ。

やがて葬儀会館が主流になってくると、葬儀は変貌を遂げ、モダンな葬儀会館で鮮やかな色とりどりの
花祭壇や明るい感じの供花。ご近所さんのお手伝いを頂かなくても仕出し料理や、返礼品も全てそこで
まかなえる様になりました。
火葬場も隣接している会館もあるのでとても便利な時代になりました。

時代の流れと共にライフスタイルも変わり、葬儀の形も必然的にこのような形になったんですね。

そしてまた、葬儀の形が変わってきました。
5年ほど前からでしょうか。

“家族葬”という言葉が出現してから、今まで一気に加速しました。
これも、はやりと言うような一過性の物ではなく、必然的に表れた形だと考えています。

きっかけは、密葬と言われていた、世間にあまり知らされたくなく葬儀をしたい人や、火葬のみで
行うような小さい葬儀の事を、ある葬儀会社がネーミングした事より出てきた言葉です。
ですので、家族葬には明確な定義がありません。


家族葬=“家族だけの葬儀”、 家族葬=“小さな葬儀”、 家族葬=“お金のかからない葬儀”・・・
などなど、色んな言われ方をしていますが、どれも間違いではないでしょう。

ですが我々が考える家族葬とは・・・

家族葬=『家族と家族のように接してきた人が故人を心から偲び参列する葬儀』と考えています。

これまでの葬儀はお付き合いで参列する人も多く、遺族、施主さんがその接待に追われ、
ゆっくりと故人との最後のお別れの時を過ごせないものでした。

人間関係が希薄になってきている現代、又、少子高齢化が主な原因でしょうか。

老老介護が深刻化されていますが、葬儀をあげる立場になってしまった時も、
施主が高齢の為、葬儀にたくさんの費用を掛け、よく顔もわからない方に参列に来られても、
きちんとしたおもてなしも出来なく、疲れるだけで故人のそばに寄り添っている事が出来ない事に
意味合いを感じなくなってきたのです。

この政治が不安定で大変な時代、お亡くなりになる方も、『私の葬儀にお金をかけないで。生きている者に使って下さい。』と、心配を胸に旅立っていく方も多いのでしょう。

このような時代の変化と共に家族葬と言うスタイルが必然的に定着してきたのです。


私自身も、もし自分が死んでしまったらこうして欲しいと家族に話しています。(ちょっと気が早いですが。。)
それは、私の枕もとで、息子にピアノをずっと奏でていて欲しいと言う事です。
小学校1年の頃から始めた大好きなピアノの腕前を聞かせて欲しいのです。
特に祭壇もなにもいりません。お坊さんにお経をしてもらう事もいりません。(これは家族に委ねます)
ただ、最後の時を自宅で家族に見送られ、出棺の最後の最後まで、ピアノを聞かせて欲しい。
ただそれだけです。

このように人には人の思う大切な事が、人の数だけあります。
それを我々が、なるべくその思いに近づけるようにお手伝いをさせて頂く。
それだけなんですね。。。


そのように思う一方で、最近感じる事は、
“遺族がそれで良くても、生前故人と関わりのあった方とのご縁が果たしてそれでそれで本当に良いのか。”
と言う事です。

噛み砕いてお話しますと、人は火葬されるとご遺骨だけになります。
当たり前じゃないか。と言われそうですが、その姿が、お顔が消えてなくなる前に会いたかったと思う方
もいるはずです。これは、最後のお別れをしたかった人には切実な問題です。
ですので、必ず“家族のように接してきた人が誰なのか”をしっかりと把握しておきたいところです。


最後に、葬儀の形は時代の流れと共に変化していきます。これからもっと変わっていくでしょう。

ただ一つ、いつの時代も変わらないものがあります。

それは、人が人を想う気持ちです。

我々、葬儀に従事する者は常にお客様の想いを大切にしながら、その時代の変化に沿った
成長をしていかなければなりません。

ご遺族様が葬儀というしめやかな場所を借りて、きちんと“ありがとう”と感謝の涙を流せる空間を
常に提供していきたいと思います。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。平成24年3月14日

人と人との結びつきを大切に・・・ 株式会社 -ゆい-結セレモニー  代表取締役